名古屋市会議員(千種区)

山田昌弘(まさひろ)

1970年生まれ
      愛知県立旭丘高校、名古屋商科大学商学部卒業後、
      民間企業を経て政治の世界へ

1998年  さとう泰介参議院議員 公設第一秘書

2007年  名古屋市会議員(1期)

2012年  古川元久衆議院議員 公設第一秘書(千種区・市政担当)

2015年  名古屋市会議員(2期)
      衆議院議員 古川元久事務所顧問
2019年  名古屋市会議員(3期)

■主な役職
2016年  防災・エネルギー対策特別委員会 委員長
      市会議員団 政審会長
2017年  教育子ども委員会 委員長
2020年  第103代名古屋市会副議長
2022年  名古屋市監査委員

現在    ボーイスカウト 名古屋第22団 団委員
      名古屋市少林寺拳法協会 顧問




ボーイスカウト活動に明け暮れた青春時代

学生の頃、熱中したのはボーイスカウト活動です。小学校3年生から大学卒業まで14年間続けました。ボーイスカウト活動の柱は野外活動と奉仕活動で、地域社会の様々な行事にも積極的に関わります。また、日常の学生生活では触れ合うことのできない、世代を越えた地域社会の人々との繋がりを、肌で感じることも出来ました。今振り返れば、ボーイスカウト活動は、私の社会貢献の出発点でした。

『同級生を国会に送りたい』

私と政治を結びつけたのは、旭丘高校時代の友人です。国会議員を目指す友人のたっての頼みに、仕事を辞めて彼の手伝いをすることを決心しました。そこで、政治のイロハを学ぶために、高校の先輩である古川代議士の元に彼と二人で相談に行きました。そこで佐藤泰介さんの参議院議員選挙の手伝いを紹介していただき、それがご縁で佐藤議員の秘書にして頂いたのは1998年のことでした。

『議員秘書から市会議員へ』

友人を国会議員にしたい思いでスタートした議員秘書時代は8年あまりに渡りました。最初、右も左も分からぬ私は失敗続きでした。たくさんの指導を受けながら経験を積んでいきました。人の気持ちを推し量り、先手先手と準備をしていく大切さも学びました。その中で次第に楽しいと思える充実感と達成感が増えていきました。
 夢中で過ごした秘書時代に、転機が訪れました。当時公設秘書となっていた私は多くの方から様々な陳情をお聞きしました。その度に「私ならどう話し、どう行動するか」という考えが培われていきました。秘書として汗をかく中で、政治への自分の思いを語り、行動する力を蓄えていった日々でもありました。そんな折、市会議員に立候補しないかとの誘いを受けました。最初、私は大変迷いましたが、私を政治の世界へ導くことになった友人からも「是非やったらいい」と背中を押してもらい、私は友人の政治活動をサポートするという当初の思いから、自らが議員を目指す決心をしました。そして2007年4月の統一地方選挙で多くの仲間に助けられ、初挑戦で初当選、市会議員になりました。
『落選して分かったこと』
 しかしながら、リコール署名・減税の逆風が吹く中、2度目の選挙はあえなく落選しました。いつかは逆風も収まるであろうと一部の支援者向けにのみ活動をしていた自業自得の結果であったと反省しています。自分の未熟さと甘さを痛感させられました。

『新たなチャレンジへ』

そんな時に、古川代議士から声をかけて頂き、2012年から古川元久事務所で秘書として働くことになりました。皆様から頂く様々なお声は、名古屋市としてやらなければならないこと、名古屋市で解決できることがたくさんあり、もう一度名古屋市会議員として皆様のお役に立ちたいという思いが強くなっていったときに、代議士の地元事務所のある千種区から、再チャレンジする機会を頂きました。

『市会議員として』

現在3期目。ご存じのように、私は派手な男でも目立つ男でもありません。ただ、一人一人の悩みや不安に寄り添い、それを迅速に解決できるよう皆様と市政をつなぐ橋渡し役として働くことには自信があります。これまで選挙のときに皆様にお約束をしてきたことは確実に実行して参りました。毎朝行っている街頭活動中や、地域の行事などでたくさんのお声をお寄せいただきます。その声をしっかり市政に反映し、今後も「より豊かな千種区」を目指し、まじめにしっかりと取り組んで参ります。